ジュリアというコーヒー、名前の由来
1944年頃、一人のマンガライの若者がスラウェシ島のマカッサル大学に入学しました。彼の名前はルドルフ。
学業が終わって故郷に帰るとき、彼はコーヒーの種子を持ち帰り、チョロルの村人たちに配りました。そのとき彼は、そのコーヒーを「ジュリア」と名付けたのです。
以来、ジュリアはマンガライの人々の宝となったのです。そして出稼ぎなどで遠く故郷を離れて暮らす人々にとっても、ジュリアは「マンガライを偲ぶ香り」となったのです。
ルドルフの行ったスラウェシ島に、戦前からあったコーヒーは、ティピカ種だと信じられています。今でもトラジャではアラビカといえば「ティピカ」のことを指し、戦後になって持ち込まれたハイブリッド種のコーヒーのことは「ジェンバー」と呼んで区別しています。
実際に、今でもトラジャのコーヒー畑の中には、ティピカの古木が残っていたりします。
スラウェシからフローレスにもたらされたジュリアの木は、実と種子は細長く、葉も細く、枝は丸くしなやかで、まさにティピカの特徴を示しています。